昭和46年04月20日 夜の御理解



 一生懸命でつとめさせて頂いてまあ皆さんも、一緒に拝まして頂きました様にあの様に盛大に有難いお祭りを奉仕させて頂きました。それでももうお祭りを頂いてしかも今日はお説教のおかげまで頂きましたものですからそれから御直会を皆さんお付き合いしてま少し早めに引き上げてからまあちょっと一息休ませて頂きました。
 でもあの久富さんが「先生、夜の御祈念の時間ですよ」いうてから起こされました時にその御礼を申し上げねばならんからと瞬間思った瞬間何か知らんそのとにかくきつかった体がねシャンとしたぐずぐずしとった体がシャンと立ち上がれたと言った様な感じを受けたんですね。
 私はお願いをする、お願いをせんならんから今日参らんならん、お願いをせんならんからこの修行せんならんと言う事もそれは信心の過程に於て大事なことですけれども、おかげをおかげと分かって今日は神様に御礼を申し上げなければならんから参拝、御礼を申し上げねばならんからというのはね。
 もっと尊い有難いものだなと言う事をながら今晩そんなことを感じさせて頂きましたね。御礼を申し上げねばならんからと思うたらなんか瞬間私の体にきついと言った様なまあいうなら濁った血が清まって行く様な思いがしました。それこそ例えば御礼を申し上げる心と云うものは尊いと言う事になりますねえ。
   どうぞ。